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龍頭寺(りゅうとうじ)は、山形県飽海郡遊佐町蕨岡にある、真言宗智山派の寺院である。かつての蕨岡は、鳥海山の修験道の最大の拠点で、龍頭寺は三十三坊からなる修験の一山寺院(衆徒)の頂点に立つ学頭寺であった。明治の神仏分離以後も復飾せずに仏教寺院として留まって現在に至る。 ==由来== 龍頭寺は遊佐町の東南端、国道345号から少し入った鳥海山麓に位置する。 鳥海山の山麓には蕨岡、吹浦、矢島、小滝など多くの修験の根拠地があったが、蕨岡の修験(衆徒)はその中でも最も大きな勢力を持ち、上寺(うわでら)と通称される丘上に居住して大衆(だいしゅう)とも呼ばれた。近世では「蕨岡三十三坊」と称して一山組織を形成して勢力を誇ったが、その学頭寺が龍頭寺である。 寺伝では大同2年(807年)に慈照上人が開基したというが、史料は残っておらず伝承に留まる。『羽黒山年代記』〔永正7年(1510年)真田在廳が著し、明和3年(1766年)に羽黒山の宥榮が書写。〕には、「貞観二年庚辰、飽海嶽ニ仙翁龍翁與云フ青赤鬼住ム。同年六月、慈覚大師登リ、彼二鬼ヲ封シ給フ。此山全 龍ノ形ナリ。則龍頭ニ権現堂ヲ建ツ。鳥ノ海ト云フハ、則権現之御手洗池也。仍テ山號ハ鳥海山、寺號ハ龍頭寺ト號ス」とあり〔『山形県史 資料篇15 下巻(古代中世史料2)』、1979:180頁〕、貞観2年(860年)慈覚大師円仁が青鬼赤鬼を退治し、龍の形に似たこの山の頭に当たる部分に権現堂を建てて寺号を龍頭寺としたと伝え、円仁の事跡とその開基を説く。正確に読めば、この記述による龍頭寺は山頂部の「蛇の口」付近に建てたという伝承になるため、蕨岡の学頭寺となった龍頭寺とは異なることになり、また史実であるかも確認できない。ただし、円仁の開基を説くので、蕨岡よりも古いとされる天台系の杉沢の坊中が伝えた伝承の可能性はある。 かつては、鳥海山山頂の権現堂〔薬師堂。現在の山頂本殿〕の鑰を管轄したのは杉沢の別当坊であり、蕨岡を凌ぐ勢力を持っていたと推定される。『筆濃余理(ふでのあまり)』によれば、本尊の十一面観音は杉沢熊野権現の本地という。杉沢は蕨岡に先行する勢力であったが、杉沢の二坊は、近世初頭には、蕨岡三十三坊に組み込まれていた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「龍頭寺 (山形県遊佐町)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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